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〒305-0032 茨城県つくば市竹園2-7-8グランシャリオ竹園101
【高3国語】共通テスト古文の共通テスト対策をやりました①(2025/10/9)
「まして、同じ心に、あはれを交わし、まことの契りにておはせましかば、この世にもとどまり給はざらまし」 この一文を読んで、登場人物の気持ちや関係がどのように表れていると思いますか?
物語のあらすじが分からないと難しい部分もあるかもしれませんが、少し想像を膨らませてみてください。
こんにちは、小野塾の阿竹です。
小野塾では中学3年生の国語、高校受験数学、理科、社会、中学2年生の数学、英語、国語を担当しています。また、講習期間のみだったり、期間限定ではありますが、高校3年生の国語も担当しています。
今日は10/9にやった高3共通テスト対策授業の古文から授業の要点の一部を改めて整理してブログに記します。
冒頭の一文を読んで、「…ましかば~まし」だから反実仮想だと気づけた方は、基本レベルはクリアです。 しかし、ここで止まらず、反実仮想に気づいた上で考えないといけないのは、「起こっている事実」の方です。
たとえば、「鳥だったら飛べるのになあ」というのは、自分が人間だからできる発言です。 この「本当は人間だけど」という内容を自分で補足できるのかどうかが、レベルの高い問いに解答できるかの分岐点になります。
このポイントをさらに整理していくために、上記の一文はどのような物語の流れで出てきたかをざっくりと説明します。 ある時、帝の内縁(妻のような立場)であった貴族の女性に一方的に恋心を抱いてしまった貴族の男性がいました。その事実により、女性は帝の怒りに触れ、離縁されてしまいます。後日、その女性はショックのあまり体調を崩した末に亡くなってしまいます。亡くなったその女性の傍で嘆く貴族の男性を見ている周囲の人々が、上記の一文を発言したのです。
これらの情報を踏まえて、物語に登場する貴族の女性と貴族の男性の関係性や運命がどのようなものであったか分かりますか?
この一文を単純に現代語訳するだけなら、古語を頭に入れ、助動詞や助詞がある程度わかっていれば、完璧とはいかないまでも、ニュアンスを読み取ることはできます。しかし、それでは、他の受験生と読解や文章の理解の差をつけることは難しいです。
では、まずは第一歩として単純に一文の意味を読み取っていきましょう。
(少し今回のメインテーマとはずれますが、古文で文の意味を読み取るときのポイントがあります。それは、「最もシンプルな形で見る」ということです。
特に敬語の表現が複雑に重なっていると、言い慣れない・聞き慣れない言葉が連発して混乱してしまうこともあるでしょう。しかし、敬語とは言葉の敬意の度合いのみに関わり、言葉の意味にはほとんど影響のない、飾りのようなものです。そのため、まずは意味を理解するうえでは無視しても大丈夫です。)
そうすると上の一文は次のようになります。 「まして、同じ心に、あはれを交わし、まことの契りにてあり(ましかば)、この世にもとどまらざる(まし)」
こう見ると、次の二点が整理できます。 ①「ましかば」までの部分は、『「同じ心」で「あはれを交わし」て「まことの契り」だったなら』という意味が読み取れる ②「まし」までの部分は、『「この世にはとどまらない」=「生きてはおらず亡くなっている」だろうに』という意味が読み取れる
※特に今回敬語を無視すると後半の打消しの助動詞「ず」を見落とさないで済むというメリットがあります。この助動詞を読み飛ばして一文の意味を正確に取れていない生徒がたくさんいました。
※また、今回は単語の話ではないので、詳しくは補足しませんが、「あはれ」は「愛情」のことで、「契り」は「前世からの約束、宿縁」などの意味があります。いずれも当時の世界観を知るには重要な単語なのでサクッと覚えてしまいましょう。
ここまでが、単純に一文の意味を取るというステップです。 ここからさらに読解を深めるならば、「反実仮想から事実を読み取る」ということが重要になります。
では、今実際に起こっている事実とは何でしょうか。 それはつまり、反実仮想の真反対のことがらということになります。
(ここで少し記事から目を離して考えてみてください。)
今ここで起こっている事実とは、 『「同じ心」で「あはれを交わし」て「まことの契り」ではないので、「この世にとどまっている」のだ』
ですね。
今回の物語の流れの情報を踏まえると、『「同じ心」で「あはれを交わし」て「まことの契り」ではない』のは貴族の女性と片思いしてしまった貴族の男性であり、現世や来世をも超える強烈な宿縁ではないからこそ、男性は女性に先立たれてしまっているわけです。だから、男性は『この世にとどまっている』んですね。そういった事実を目の当たりにして、周囲の人々は、片思いしていた男性貴族に対して憐みの気持ちで発言をしたことが考えられます。
いかがだったでしょうか。
今回の記事で、「反実仮想」に気づくだけではなく、読解するにあたってどこまで考えてほしいか、という読み方の話をさせていただきました。 しかし、さらに重要なのは、ここから他の文章を読むときにもどんなことに気を付けるのかということです(反実仮想が出てきたら事実まで考える、というのは当然のこととして)。
この一文でもう一つだけ学んでほしいのは、当時の恋愛観(世界観)の一端です。
この手の古文は「帝に見放されて体調を崩した女性を男性が献身的に支えて幸せになりました。」のような単純な話で終わりません。 そういうストーリーにならない背景として、当時の恋愛に対する常識などが深くかかわっています。
「そもそも帝の内縁であった(妻のような立場にあった)女性を好きになった男性が幸せになるはずがない。なぜならそれは禁忌を犯していることなのだから。」というのがこの話の根本にはあります。これは当時の貴族社会の当たり前だったのです。しかし、だからこそその葛藤や叶わぬ恋に物語性を感じて当時の人々は文学・フィクションとして書いたのでしょう。
こういった問題文を通して、当時の世界観や常識を頭に入れ、ストーリーを読む文法的な力を伸ばしながら、自分の知識で補って読むことができるようになってくると、古典文章への理解が急速に深まっていきます。
小野塾
電話番号 029-828-8993 住所 〒305-0032 茨城県つくば市竹園2-7-8 グランシャリオ竹園101
25/10/29
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「まして、同じ心に、あはれを交わし、まことの契りにておはせましかば、この世にもとどまり給はざらまし」
この一文を読んで、登場人物の気持ちや関係がどのように表れていると思いますか?
物語のあらすじが分からないと難しい部分もあるかもしれませんが、少し想像を膨らませてみてください。
こんにちは、小野塾の阿竹です。
小野塾では中学3年生の国語、高校受験数学、理科、社会、中学2年生の数学、英語、国語を担当しています。また、講習期間のみだったり、期間限定ではありますが、高校3年生の国語も担当しています。
今日は10/9にやった高3共通テスト対策授業の古文から授業の要点の一部を改めて整理してブログに記します。
冒頭の一文を読んで、「…ましかば~まし」だから反実仮想だと気づけた方は、基本レベルはクリアです。
しかし、ここで止まらず、反実仮想に気づいた上で考えないといけないのは、「起こっている事実」の方です。
たとえば、「鳥だったら飛べるのになあ」というのは、自分が人間だからできる発言です。
この「本当は人間だけど」という内容を自分で補足できるのかどうかが、レベルの高い問いに解答できるかの分岐点になります。
このポイントをさらに整理していくために、上記の一文はどのような物語の流れで出てきたかをざっくりと説明します。
ある時、帝の内縁(妻のような立場)であった貴族の女性に一方的に恋心を抱いてしまった貴族の男性がいました。その事実により、女性は帝の怒りに触れ、離縁されてしまいます。後日、その女性はショックのあまり体調を崩した末に亡くなってしまいます。亡くなったその女性の傍で嘆く貴族の男性を見ている周囲の人々が、上記の一文を発言したのです。
これらの情報を踏まえて、物語に登場する貴族の女性と貴族の男性の関係性や運命がどのようなものであったか分かりますか?
この一文を単純に現代語訳するだけなら、古語を頭に入れ、助動詞や助詞がある程度わかっていれば、完璧とはいかないまでも、ニュアンスを読み取ることはできます。しかし、それでは、他の受験生と読解や文章の理解の差をつけることは難しいです。
では、まずは第一歩として単純に一文の意味を読み取っていきましょう。
(少し今回のメインテーマとはずれますが、古文で文の意味を読み取るときのポイントがあります。それは、「最もシンプルな形で見る」ということです。
特に敬語の表現が複雑に重なっていると、言い慣れない・聞き慣れない言葉が連発して混乱してしまうこともあるでしょう。しかし、敬語とは言葉の敬意の度合いのみに関わり、言葉の意味にはほとんど影響のない、飾りのようなものです。そのため、まずは意味を理解するうえでは無視しても大丈夫です。)
そうすると上の一文は次のようになります。
「まして、同じ心に、あはれを交わし、まことの契りにてあり(ましかば)、この世にもとどまらざる(まし)」
こう見ると、次の二点が整理できます。
①「ましかば」までの部分は、『「同じ心」で「あはれを交わし」て「まことの契り」だったなら』という意味が読み取れる
②「まし」までの部分は、『「この世にはとどまらない」=「生きてはおらず亡くなっている」だろうに』という意味が読み取れる
※特に今回敬語を無視すると後半の打消しの助動詞「ず」を見落とさないで済むというメリットがあります。この助動詞を読み飛ばして一文の意味を正確に取れていない生徒がたくさんいました。
※また、今回は単語の話ではないので、詳しくは補足しませんが、「あはれ」は「愛情」のことで、「契り」は「前世からの約束、宿縁」などの意味があります。いずれも当時の世界観を知るには重要な単語なのでサクッと覚えてしまいましょう。
ここまでが、単純に一文の意味を取るというステップです。
ここからさらに読解を深めるならば、「反実仮想から事実を読み取る」ということが重要になります。
では、今実際に起こっている事実とは何でしょうか。
それはつまり、反実仮想の真反対のことがらということになります。
(ここで少し記事から目を離して考えてみてください。)
今ここで起こっている事実とは、
『「同じ心」で「あはれを交わし」て「まことの契り」ではないので、「この世にとどまっている」のだ』
ですね。
今回の物語の流れの情報を踏まえると、『「同じ心」で「あはれを交わし」て「まことの契り」ではない』のは貴族の女性と片思いしてしまった貴族の男性であり、現世や来世をも超える強烈な宿縁ではないからこそ、男性は女性に先立たれてしまっているわけです。だから、男性は『この世にとどまっている』んですね。そういった事実を目の当たりにして、周囲の人々は、片思いしていた男性貴族に対して憐みの気持ちで発言をしたことが考えられます。
いかがだったでしょうか。
今回の記事で、「反実仮想」に気づくだけではなく、読解するにあたってどこまで考えてほしいか、という読み方の話をさせていただきました。
しかし、さらに重要なのは、ここから他の文章を読むときにもどんなことに気を付けるのかということです(反実仮想が出てきたら事実まで考える、というのは当然のこととして)。
この一文でもう一つだけ学んでほしいのは、当時の恋愛観(世界観)の一端です。
この手の古文は「帝に見放されて体調を崩した女性を男性が献身的に支えて幸せになりました。」のような単純な話で終わりません。
そういうストーリーにならない背景として、当時の恋愛に対する常識などが深くかかわっています。
「そもそも帝の内縁であった(妻のような立場にあった)女性を好きになった男性が幸せになるはずがない。なぜならそれは禁忌を犯していることなのだから。」というのがこの話の根本にはあります。これは当時の貴族社会の当たり前だったのです。しかし、だからこそその葛藤や叶わぬ恋に物語性を感じて当時の人々は文学・フィクションとして書いたのでしょう。
こういった問題文を通して、当時の世界観や常識を頭に入れ、ストーリーを読む文法的な力を伸ばしながら、自分の知識で補って読むことができるようになってくると、古典文章への理解が急速に深まっていきます。
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