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【中3社会】大日本帝国憲法と日本国憲法の復習をしました。(2025/10/7)
こんにちは、小野塾の阿竹です。
小野塾では中学3年生の国語、高校受験数学、理科、社会、中学2年生の数学、英語、国語を担当しています。
また、講習期間のみだったり、期間限定ではありますが、高校3年生の国語も担当しています。
今後、授業の様子や内容、教育についてのこと、小野塾の理念についてお伝えしていくため、ブログを書いていくことにしました。
今日は10/7にやった中学3年社会の公民から、大日本帝国憲法と日本国憲法についての話を簡単にまとめたいと思います。
(生徒のみなさんは、授業内で小テストを解いてもらいますので、授業の内容を思い出しながら読んでくださいね。)
大日本帝国憲法と日本国憲法の比較は、世界と日本の民主化の流れを理解する上でとても重要なテーマです。 そもそも日本はヨーロッパの民主化先進国(イギリスとかフランスとか)と比べると、かなり遅れて民主化が始まりました。
たとえば、イギリスでは1215年に「マグナ・カルタ(大憲章)」が成立し、国王の権力を制限するという憲法的な考え方が始まりました。当時の日本はちょうど源頼朝が鎌倉幕府を開いた頃です。 一方で、日本で民主的な動きが本格化したのは、大正時代の「大正デモクラシー」(1910年頃から約20年間)の時期です。マグナ・カルタの成立から実に700年後ということになります。 大正デモクラシーの少し前、1889年2月11日に発布された大日本帝国憲法は、日本で初めての憲法ですが、まだまだ民主的な内容とは言えませんでした。 この憲法はプロイセン(ドイツ帝国)憲法をモデルにしており、形式的には立憲主義を採用していましたが、主権は天皇にあり、国政や軍隊の指揮権などの重要な権限がすべて天皇に属していました。 つまり、天皇を中心とした「立憲君主制」の下での政治体制だったのです(天皇は元首という位置づけでした)。
それに対して、1946年11月3日に公布された日本国憲法は、第二次世界大戦後の占領下でGHQ(連合国軍総司令部)が提示した草案を基に、日本政府が修正を加えて制定したものです。 この憲法は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を三つの基本原則とし、従来の天皇主権から国民主権へと大きく転換しました。 この時、世界から見ても日本がついに本格的に民主国家の仲間入りを果たしたと言えるでしょう。意外と最近のことなんですよね。
(以下に、大日本帝国憲法と日本国憲法の違いのポイントをまとめます。思い出してから確認してください。)
【大日本帝国憲法と日本国憲法の大きな違い】
※左が大日本帝国憲法、右が日本国憲法 ・欽定憲法/民定憲法 ・天皇主権/国民主権
・国会は衆議院と貴族院(+枢密院)=天皇を助ける輔弼(ほひつ)機関/国会は衆議院と参議院 ・軍隊は天皇が指揮(統帥権)/平和主義、自衛隊(戦力の不保持) ・天皇が統治権を持つ/天皇は象徴(国政は議院内閣制) ・国民は臣民/国民は主権者
ちなみに…
大日本帝国憲法の発布は(1889年)2月11日ですが、これは現在の「建国記念の日」にあたります。初代天皇である神武天皇の即位の日とされ、発布もこの日に合わせて行われたそうです。建国記念日が国民の休日になったのは1966年のことです。一方で、日本国憲法の発布は(1946年)11月3日で、これは現在の「文化の日」です。そして、施行は半年後の(1947年)5月3日で、これは現在の「憲法記念日」ですね。
◎塾長コメント◎
小野です。
この分野のことは、私も中学生のときの授業のことをよく思い出します。
私の社会の先生は憲法の条文の原文をとにかく覚えさせる人で、大日本帝国憲法の条文の穴埋め問題もよくやったものでした。
その時に、「陸海空軍の統帥権」を覚えたのですが、当時の私はこんな言葉も覚えないといけないのかとやや疑問を感じていたことを思い出します。
しかし、その後の実力考査か何かでまさに天皇が統帥権を持つということが問題に出て無事に解答できたのです。
今振り返ると、大日本帝国憲法を丸暗記して覚えるというよりは、日本国憲法のもとで生きる私たちにとって、大日本帝国憲法のときとの違いに注目して、比較しながら考えることが重要だったのだと気づかされます。
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また、講習期間のみだったり、期間限定ではありますが、高校3年生の国語も担当しています。
今後、授業の様子や内容、教育についてのこと、小野塾の理念についてお伝えしていくため、ブログを書いていくことにしました。
今日は10/7にやった中学3年社会の公民から、大日本帝国憲法と日本国憲法についての話を簡単にまとめたいと思います。
(生徒のみなさんは、授業内で小テストを解いてもらいますので、授業の内容を思い出しながら読んでくださいね。)
大日本帝国憲法と日本国憲法の比較は、世界と日本の民主化の流れを理解する上でとても重要なテーマです。
そもそも日本はヨーロッパの民主化先進国(イギリスとかフランスとか)と比べると、かなり遅れて民主化が始まりました。
たとえば、イギリスでは1215年に「マグナ・カルタ(大憲章)」が成立し、国王の権力を制限するという憲法的な考え方が始まりました。当時の日本はちょうど源頼朝が鎌倉幕府を開いた頃です。
一方で、日本で民主的な動きが本格化したのは、大正時代の「大正デモクラシー」(1910年頃から約20年間)の時期です。マグナ・カルタの成立から実に700年後ということになります。
大正デモクラシーの少し前、1889年2月11日に発布された大日本帝国憲法は、日本で初めての憲法ですが、まだまだ民主的な内容とは言えませんでした。
この憲法はプロイセン(ドイツ帝国)憲法をモデルにしており、形式的には立憲主義を採用していましたが、主権は天皇にあり、国政や軍隊の指揮権などの重要な権限がすべて天皇に属していました。
つまり、天皇を中心とした「立憲君主制」の下での政治体制だったのです(天皇は元首という位置づけでした)。
それに対して、1946年11月3日に公布された日本国憲法は、第二次世界大戦後の占領下でGHQ(連合国軍総司令部)が提示した草案を基に、日本政府が修正を加えて制定したものです。
この憲法は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を三つの基本原則とし、従来の天皇主権から国民主権へと大きく転換しました。
この時、世界から見ても日本がついに本格的に民主国家の仲間入りを果たしたと言えるでしょう。意外と最近のことなんですよね。
(以下に、大日本帝国憲法と日本国憲法の違いのポイントをまとめます。思い出してから確認してください。)
【大日本帝国憲法と日本国憲法の大きな違い】
※左が大日本帝国憲法、右が日本国憲法
・欽定憲法/民定憲法
・天皇主権/国民主権
・国会は衆議院と貴族院(+枢密院)=天皇を助ける輔弼(ほひつ)機関/国会は衆議院と参議院
・軍隊は天皇が指揮(統帥権)/平和主義、自衛隊(戦力の不保持)
・天皇が統治権を持つ/天皇は象徴(国政は議院内閣制)
・国民は臣民/国民は主権者
ちなみに…
大日本帝国憲法の発布は(1889年)2月11日ですが、これは現在の「建国記念の日」にあたります。初代天皇である神武天皇の即位の日とされ、発布もこの日に合わせて行われたそうです。建国記念日が国民の休日になったのは1966年のことです。一方で、日本国憲法の発布は(1946年)11月3日で、これは現在の「文化の日」です。そして、施行は半年後の(1947年)5月3日で、これは現在の「憲法記念日」ですね。
◎塾長コメント◎
小野です。
この分野のことは、私も中学生のときの授業のことをよく思い出します。
私の社会の先生は憲法の条文の原文をとにかく覚えさせる人で、大日本帝国憲法の条文の穴埋め問題もよくやったものでした。
その時に、「陸海空軍の統帥権」を覚えたのですが、当時の私はこんな言葉も覚えないといけないのかとやや疑問を感じていたことを思い出します。
しかし、その後の実力考査か何かでまさに天皇が統帥権を持つということが問題に出て無事に解答できたのです。
今振り返ると、大日本帝国憲法を丸暗記して覚えるというよりは、日本国憲法のもとで生きる私たちにとって、大日本帝国憲法のときとの違いに注目して、比較しながら考えることが重要だったのだと気づかされます。
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